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 投稿者:こんび  投稿日:2016年10月 4日(火)00時17分11秒
返信・引用
  ずいぶんと時間も経ったようですが、その後の状況はいかがでしょうか?
なんだか心配です。
 
 

指摘

 投稿者:元生徒  投稿日:2014年 7月 2日(水)12時54分29秒
返信・引用
   誤植と思われる部分への回答ありがとうございます。なぜそう表記されているか納得できました。
 自身が指摘した箇所について再度指摘する理由を書きます。

p30のシャープールは確かに生まれた年が不明ですが、次のシャープールⅡも同様に生まれた年は不明です。ササン朝ペルシアに限らず王や皇帝の名の後の年はすべて在位の年間を表記していると思われます。
p83のベトナムの阮福映 は80年代のころは教科書でも福映でしたが、最近では央に草冠の付いた英が一般的になってるようです。映は(映)と表記されているので間違いとまでは言えないのですが。
p140のカンボジアの欄にあるドイモイはベトナムの欄に移動するべ期だと思います。
ドイモイはベトナム語でしょうし、カンボジア語とベトナム語はまったく別の言語系統なので。この時期のカンボジアはベトナムの傀儡政権とはいえ一応独立国なので。

p38安・史の大乱の・は僕らのころはなかったのに何故?と思いましたが説明で納得できました。さらに思うにあえて教科書の表記と変えているのは予備校のテキストなら教科書に合わせるの仕方ないのでしょうが、今回の体系世界史は受験のためのテキストという枠を超えて真に「武井の世界史」を世に送り出したいという思いがあるのでは推察されます。

「武井の世界史」の完成を心より待ち望んでいます。
 

ご報告

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月 4日(日)04時37分42秒
返信・引用
  ご報告

ご報告が大変遅れておりまして
申し訳ございません。

Twitterなどにてご報告しましたように
私個人による訂正などの作業を終えまして,
ようやく,こちらのBBS,および,作業用BBSにて
ご指摘頂いた点の考査を致しました。

こちらでご指摘頂いたものですので
作業結果,判断の根拠などをこちらでご報告したいと思います。

判断がおかしいと思われるものがございましたら,
教えて頂けますとありがたく思います。
よろしくお願い致します。

元データが七部に分割されていまして,
その区切りになっております。
また,こちらはMacの環境で投稿していまして,
難漢字などの文字化けがありましたら
ご指摘くださると助かります。
 

ご報告

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月 4日(日)04時37分9秒
返信・引用
  「済み」:既に作業済みのもの
「訂正」:誤りと判断されるもの
「修正」:より適切な記述になおしたもの
「保留」:判断できず,元データのままにしてあるもの
「無し」:元データのままでよいと判断したもの
参考資料は
『山川』:『山川世界史小辞典』
『角川』:『角川世界史辞典』
『ブリタニカ』:『ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2014』
(以上すべてiPad版)
をさしています。
他に使用した書名等がでてくるものは書籍版です。

ーーーー第一部(P1~P21)ーーーー

p2 オーストリアとシャムの略字が誤植
訂正)「邏」から「暹」羅に訂正。

p6 地質学上の年代区分の欄の .54の .は不要
済み)

 同様にp12の米大陸の欄の .2500の.は不要
済み)「c.2500」に訂正済み

p15 1680設→1680説
訂正)

p16 前290減→前1190滅
訂正)

p19 ユダヤ王国→ユダ王国
訂正)

同 春秋五覇 越の匂践は誤植
訂正)「勾践」に訂正

p20 先秦の咸陽は遷都の方が意味的に正しいのでは。
保留)「遷都」:「都を他の地に移すこと」と「奠都:「都をある地に定めること」(『大辞泉』)の違いがよくわからず,敢えて訂正する必要があるのか判断出来ず,保留。
 

ご報告

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月 4日(日)04時36分10秒
返信・引用
  ーーーー第二部(P22~P43)ーーーー
P22 ~派遣の対立期~→覇権の対立期~
訂正)

P25
★マウリア王朝の青の文字で書かれている所の巻灌漑の巻は必要?
保留)

★秦王朝の 御史太夫→御史大夫
訂正)

p26 カルタゴ市のBC133アリストトニコス→アリストニコス
訂正)

p27
★南道 ヤルカンドの漢字は草冠が必要
訂正)「沙車」を「莎車」に訂正。

★儒学的統一に抗す安南王は(準の下の十をとる)
訂正)

★南王 劉安
訂正)「安南王淮安」を「安南王劉安」に訂正。

p28
★ヴェルギリウ( AD19→BC19)
訂正)

★ストラボンBC68-AD65はBC64-AD21
訂正)『角川』:23年頃 『山川』:21年頃 『ブリタニカ』:21年頃とあり,「21年」に訂正

アウグストウスのところの、帝国帝国→帝国
訂正)

p29の 86-のヤルカンドも草冠がない
訂正)

p30
★安定金貨ソリドウスは11世紀まで使用されたという説あり
保留)『ブリタニカ』に「11世紀中頃まで」との記述があるも,保留。

★シャープル1世(?-272)は(241-272)
保留)在位は241~272だが,生年は不明なのでこのまま保留

p31
★九品中正法→九品官人法ないしは九品中正
訂正)「九品中正」に訂正

★任那の伽羅→加羅
無し)「伽羅」とも表記するため訂正せず。

p33
★梁王朝の?(すみません漢字読めない)論→摂論へ
無し)「攝」は「摂」の異体字なため訂正せず。

★その下の西梁も誤植
訂正)「粱」から「梁」へ

★東魏の首都名も誤植
訂正)「鄴」に訂正

★西魏 文帝(宇文泰)となってるが宇文泰は丞相
訂正)宇文泰は重要な為,「(大丞相宇文泰)」に訂正。(『角川』より)

★隋の首都 大興→大興城
訂正)「大興」から「大興城」へ訂正。
保留)「首都大興(長安)」とされているが,『山川』によると「旧長安の傍に大興城を築いて都とした」とある。P39も同様。

p39の隋の首都も同様
訂正)「大興城」へ訂正。

p35 Ⅱの 印度 の最後、自立が推むは進む?
保留)辞書には無い読みだが,訓読みは必ずしも固定されたものではないので,保留。オリジナルテキストで要確認。

p37
★週知事→州知事
訂正)

★フリード1→ワリード1
訂正)

★613年 布教開始(-822)→622
訂正)

★アリの政権がクファはクーファ
訂正)「(アリ政権がクファに拠ったのは」を「クーファ」に訂正。

★567スウイッヒンの戦いは657
訂正済み)
修正)「スウイッヒン」であるが,『角川』『ブリタニカ』ともに「シッフィーンの戦い」と表記されている。『山川』には掲載無し。従って,レイアウト上置き換えても問題ないため「スウイッヒン」を「シッフィーン」と修正。

同 経済欄クーフファ→クーファ
訂正済み)

p38
★吏戸札兵~→吏戸礼兵~
訂正)「札」から「礼」に訂正。

★383 突厥帝国の東西分裂 →583
訂正)「583」に訂正。

★高祖(李淵ー626) 618-626
訂正)「618~626」に訂正。

★安・史の乱→安史の乱
無し)辞典などの見出しは「安史の乱」とあるが,安禄山と史思明らが起こした反乱との意味を明確にするための中黒と判断し修正せず。

p39
★698 渤海の前の国は震国の誤植
訂正)『ブリタニカ』や『角川』に「振国」「震国」との表記はあるも「晨国」は見つからず。
「晨」は「振」「震」の異体字でもないようなので,「震国」に訂正。

★渤海の首都は上京竜泉府
保留)滅亡時は「上京竜泉府」であるが,「初め中京販徳府」とある。当初はどこかわからず保留。ただし,「上京竜泉府」の方が重要な様であるのに記載が無いことには疑問。
 

ご報告

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月 4日(日)04時35分24秒
返信・引用
  ーーー第三部(P44~P67)ーーー

p46
★遼の首都は 上京臨おう(すみません漢字の変換できない)府
訂正)『山川用語集』で「上京臨潢府」(じようけいりんこうふ)と確認。スペース的にも入るため,訂正。

★イクタ-ア →イクター
修正)「イクター」には,「分与地」を意味する場合と「イクター制」との両方の意で使われるようだが,文字数も合うため,「イクター制」と修正。なお,「イクターア」という語句は見つからず。

★AFGAN→Afghan
済み)

p47
★山武一宗→三武一宗
訂正)「845三武一宗の法難の3」に訂正。

★おうてつ のおうの字の上の吉でかすぎ(笑い)
無し)フォントの問題のため

p49
★ジャヤヴァルマンロ→ジャヤヴァルマン2世
訂正)文字数の都合により「始祖ジャヤヴァルマンⅡ」との表記に訂正。

★スリー=ヤソヴァルマン → ヤショヴァルマン
訂正)『角川』によると「889-910? ヤショヴァルマン1世」とあるので,「スリー=ヤソヴァルマン王(880~908)」を「ヤショヴァルマンⅠ」に訂正。「アンコール=トム」については下記※要確認参照

★スールヤソヴァルマン →スールヤヴァルマン2世
済み)「スールヤヴァルマンⅡ」

★チャム人の主導後は仏寺となる →タイ人の主導後は仏寺となる説あり
修正)『ブリタニカ』の「アンコール遺跡」によると,「1432年にタイ軍の攻撃を受けて放棄され,」とあるので,「チャム人の」から「タイ人の」に修正。

★ジャヴァルマン →ジャヤヴァルマン7世
済み)

★アンコールワット再興 →アンコール=トム再興
訂正)『ブリタニカ』によると「現存する遺構は13世紀初頭にジャヤバルマン7世により第4次の王国首都として造営されたもの」とある。「アンコール=トム」に訂正。

★ちなみに現在のアンコール=トムはジャヤヴァルマン7世と時造営されたという説が有力
※要確認 保留)『ブリタニカ』『角川』ともにアンコールトムはジャヤヴァルマン7世が12世紀末もしくは13世紀初頭に作られたと記載されている。レイアウトの問題もあり,保留。

★大越国の始祖李公温→李公うん(すみません漢字の変換できない)
訂正)「始祖李公蘊」に訂正。

★大理国の始祖段恩平→段思平
訂正)「段思平」に訂正。

p52サヴォナローラはフランチェスコ会でなくドミニコ会
訂正)「ドミニコ」に訂正。

p53 ロシアのヤゲウォ王朝でなくポーランド
済み)既にP52ポーランドの欄に追記されており,P53の註は削除されている。済み。

p54
★イルハン国シャー=ルクはシャー=ルフ
訂正)「ルク」から「ルフ」に訂正。

★海都の乱も彼だけ漢字名なのはどうかと、ハイドゥの乱でいいのでは?
修正)スペースに若干余裕があるので「海都の乱」を「海都(ハイドゥ)の乱」に修正。右の「海都死」ママでも理解出来ると判断。レイアウト修正。

p55
★1499互刺→1449互刺
訂正)「1449」に訂正。

★西夏は金ではなくジンギスカンに滅ぼされたので金から→あるのは変
保留)見方の問題で,「金からの矢印」と見るか,「モンゴルはここまで」という区切りとして見るかによる,と考え保留。

★高麗の金属活字は銅とあるが不明という説が多い
保留)『角川』「印刷術」によると,「朝鮮で銅活字が13世紀頃から行われた」とあり,これは「c.1230」とも合うので訂正せず保留。

p56
★サイードのサイイドはすでに指摘しましたが、サイイドはマホメットの子孫の意味があり単に自称しただけなのでサイード族というのは間違い。
訂正)「サイード王朝」を「サイイド王朝」に,「サイード族」を「サイイド」に訂正。

P57
★シャム のスコータイ王朝はシャンでなくシャム国名の漢字も誤植
訂正)「邏(シャン)王国」を「暹(シャム)王国」に訂正。

修正)「始祖シン=イタラテナスト」は『角川』等では「シーインタラーティット」と表記され,また,こちらの方が一般的である様なので,修正。

★アユタヤ朝の漢字名は誤植
訂正)異体字である可能性もあるが確認出来ず,『大辞泉』等には「暹羅」とあるため,「暹邏」を「暹羅」に訂正。

★ベトナムの 大虜国も誤植
訂正)『ブリタニカ』「陳朝」→「胡季犛〈こきり〉」より,「大虜国」を「大虞国」(ダイグ,たいぐ)に訂正。

p61
★アズテカはアステカ
修正)スペイン語で「Azteca」という綴りらしく,『大辞泉』には「アズテク」とも載っているが,一般的な「アステカ」に修正。

★バルトロメウ=ディアスはバーソロミュー=ディアス
無し)『角川』『山川』ともに「ディアス(バルトロメウ)」と表記されているため,修正せず。

★コロンブス~1604→長すぎ
訂正)『山川用語集』より,「1604」を「1504」に訂正。

p64 1935に結合する→1535~
訂正)「仏がトルコに接近し1935に結合する」を「1535」に訂正。

p65
★1647応仁の乱は1467
訂正)「1467」に訂正。

★蘭が支配→葡が支配
訂正)「マラッカ回教王国」「1511滅亡(蘭が」を「葡が」に訂正。

★「還魂記」→「牡丹亭還魂記」
無し)直さなくてよい。『山川』「牡丹亭還魂記」に,「『牡丹亭』あるいは『還魂記』ともいう」との記述あり。

p67
★翌1920王が~→翌1620王が~
済み)訂正済み。

★英プリマス植民地の箇所 ゴッド岬→コッド岬
訂正)「コッド岬」へ訂正。
 

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 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月 4日(日)04時34分47秒
返信・引用
  ーーーー第四部(P68~P87)ーーーー

p68
★1640~議会収集→1640~議会召集
訂正)「召集」に訂正。

★航海条例
修正)現在は「航海法」が一般的な語であるため修正。

★蘭の中介貿易→中継貿易 ※中継とする文献が多そうです。
保留)日本語では通常「仲介」と漢字を当てるが,ここでは「中介」となっている。「中介」は中国語で「仲介」の意味であり,あえて「中介」の表記にしているとも考えられる。用語としては「中継貿易」が一般的である上,[なかつぎぼうえき]とも読む場合がある。しかし,意図的に「中介貿易」とした理由もあり得るため,修正せずに保留としておく。

P71 1662明減→滅
訂正)「滅」へ訂正。

p72 中段青文字箇所2と3の表記が変?
修正)P72からP73へ続け,数字がつながるように修正,および,レイアウト修正。

p75 ブランデンブルク辺境伯は1618年にプロイセン公国と同君連合になっているので ブランデンブルク=プロイセン公国に
重要 保留)『ニューステージ』(2013,浜島書店)に「ブランデンブルク=プロイセン同君連合(1618成立)」とある。本書P69「ドイツ」下部,「<ブランデンブルク辺境伯>」の欄には「1618~プロイセン公国(~)併合」と記述があるが,とくに併合後の国名に関しての記述は無い。「公国」か「同君連合」かどのように表記すべきか判断できず,保留。

P77 桃花扇伝奇(~名妃)→名妓
   ※下記ネット上の情報ですが参考までに、
    世界大百科事典 第2版の解説.
    【桃花扇】
    中国,清代の戯文。孔尚任(1648‐1708)の作。    明末の文人侯方域と南京秦淮の名妓李香君を主    人公とする佳人才子劇であるが,明王朝が次第    に崩壊してゆく諸相を背景に,混乱の世を純粋    の恋に生きようとする2人の姿を浮彫にしてい    る。登場するのはほとんど実在の人物であり,    史実に正確であるように努めた点で歴史劇とも    いえる。明初以来栄えた戯文の最後の傑作であ    る。

訂正)『角川』にも同様の記述あり。「名妓」と訂正。

p79 1785公有地地条例は公有地条例へ 680エーカーは640エーカーへ
 ちなみに1平方マイルが640エーカー
 ちなみにイギリスだと一家族20エーカーでなんとか生活できたらしいです。
 640エーカーは広すぎて後に数度にわたり条例変更で20エーカーまで落ちたらしいです
 以上「アメリカを知る事典」より

訂正)『角川』,および,『【新訂増補】アメリカを知る辞典 第4刷(2006,平凡社)』にて確認。(『アメリカを』はここでご紹介頂いたので購入致しました。有り難うございます。)「公有地条例」「640エーカー」へ訂正。

P80
★三部会収集→三部会召集
訂正)「召集」へ訂正。

★89.8.4封建特権→封建特権の廃止
訂正)スペース上余裕が無いのでレイアウト修正の上,「封建特権廃止」に訂正。

p83ベトナム阮福映の映が誤植
保留)「ユエ」の下の二箇所とも正しく「阮福映」になっている。見落としがあるのか?

p84 汎米会議 パナマ汎米会議
訂正)「会開議催」を「会議開催」へ訂正。
保留・修正)『山川用語集』「パン=アメリカ会議」の項目に,「パナマ会議に始まる十数回の中南米会議を引き継ぐ形で,1889年第一回会議がワシントンで開かれた」とある。パナマ会議は「パナマ会議(Congress of Panama)」であり,「パナマ汎米会議」という名称は見つからなく,また,ボリバル主催はパナマ会議であるため「汎米会議」は「パナマ会議」に修正。ただし,これらの連関を示した方がより親切であるとも思える。

P85
★インディオ強制移住 註 → 註を黒文字
保留)「1830/40産業革命の展開と膨張」下の「註、政党再編」の箇所?とすると,黒文字にする必然性が不明。保留。

★コロンビア連邦→大コロンビア共和国
訂正)「ボリバルがコロンビア連邦を」から「大コロンビア共和国」へ訂正。文字数の増加によりレイアウト修正。

★ウィッグ→ホィッグ
訂正)「U・S・A」下 「34ウィッグ」から「34ホイッグ党」に訂正。文字数増加によりレイアウト修正。

P87
未回収(トリエステ~1956、南チロル~47)
   フィウメ~1924
→未回収(トリエステ~1956、南チロル~47、
   フィウメ~1924)
修正)上記のように修正。
 

ご報告

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月 4日(日)04時34分14秒
返信・引用
  ーーーー第五部(P88~P107)ーーーー

P89
★「アヘン戦争」下 「翌7南京条約」とあるが,清の暦では道光22年7月24日であるが,西暦では1842年8月29日である。また,「翌」をわかりやすくすることも含め「42.8南京条約」と訂正。

★黄捕条約の普仏→仏
訂正)「黄埔条約」前を「普仏」から「仏」に訂正。

p94
★1881チュニスを保護→チュニジア
無し)『山川用語集』「チュニジア保護国化〔フランス〕」によると,「81年に出兵して首都のチュニスを占領,保護領とした」とあるので,1881年の時点で保護領化したのはチュニスである。チュニスはチュニジアの北部に位置し,『体系』に「以後南下」とあるように,チュニジアをフランス保護領としたのは1883年マルサ協定によってある。従って,訂正はせず。

★ドイツ帝国の欄の、レーメンス→ジーメンス
訂正)「レーメンス」より「ジーメンス」へ訂正。

p96
★エチオピアの 1896 アワド→アドワ
訂正)「アワドの戦」から「アドワの戦」へ訂正。

P97
★トルコ箇所、1908立憲革命(▲)
   →▲の対応箇所が判らない、これは疑問点です。
無し)上の国名が離れているための対応を表しているかとも思えるが,特に修正等はせず。

P98
★83二次仏南戦争→仏越(p89で一次仏越戦争になってるので)
修正)「仏南戦争」から「仏越戦争」に修正。

★黒旗党→黒旗軍
訂正)「黒旗党」から「黒旗軍」へ訂正。

★ファン=ホイチャウ→ファン=ボイチャウ
訂正)「ファン=ホイチャウ」から「ファン=ボイ=チャウ」へ訂正。

★1905 中国革命同盟会→中国同盟会
訂正)「中国革命同盟会」から「中国同盟会」へ訂正。

P99
★*東学党乱→赤文字?
保留)この欄の並びを見ると,同時期に起ったクーデターである甲申政変などが黒文字であることにより,黒文字のままでよいのではないか?革命運動が赤字とはいえ,下の説明が赤文字であることでそのフォローになっているとも思える。とりあえず黒文字のままに措く。

★下関条約 重慶の開発→開港
保留・無し)「重慶の開発」について,『角川』「日清講和条約」の中で,「⑤重慶など4か所の開市開港,⑥開市開港場での製造業従事などを認めた」との記述があり,これらをもって「開発」と表現していると考えられる。よって,修正せず。

★賠償2億3万両→2億 ちなみに遼東半島返還は3千万両と引き換えにおこなわれている
訂正・修正)この下の「(独露仏の要求で同5遼東半島還付)」との記述に代償の3000万テールについての記述が無く,また,ここにスペースが無いため,3万は3000万の誤りとしても,これを上に含めたとも想像出来る。しかし,わかりづらい,誤解しやすい書かれ方ではある。「賠償2億3万両」を「賠償2億両」に訂正。「独露仏の要求で」は,上の「独仏露の三国干渉」と重複すると見て,遼東半島還付の記述を「(同5三千万両と引換に遼東半島還付)」と修正し,文字数増加の分はレイアウト修正でつめることとした。

★ポーツマス条約の樺太→樺太割譲
修正)「N50以南の樺太」を「N50°以南の樺太割譲」とし,文字数増加を調整のためレイアウト修正。

p102 ダリ(1904~1989)
済み)

p106 エジプト王国(1922.2~1953.6)
済み)
 

ご報告

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月 4日(日)04時32分58秒
返信・引用
  ーーーー第六部(P108~P127)ーーーー

p108
★文学改良すう議 すうの字が誤植
訂正)「芻」と「鄒」とは異体字ではないことを確認。「文学改良鄒議」から「文学改良芻議」へ訂正。

p110米劇作家テネシー・ウィリアムズ(1911~1983)へ
済み)

p113ポーランド ピルスツキー→ピウスツキー
済み)

p115 ナイデル=シャー→ナーディル=シャー
訂正)「ナーディル=シャー」へ訂正。

p116
★遵義会議でコミンテルンの人民戦線方式を採用とあるが会議は1935年一月に三日間行われたのだから7月のコミンテルンの人民戦線決議よりも前に行われている時間的に矛盾するのでは?

重要 保留)『ブリタニカ』「人民戦線」にて,「(3)中国では35年8月1日に中国共産党が抗日救国のための民族統一戦線結成を訴える「八・一宣言」を発し,翌36年12月の西安事件を経て第2次国共合作が実現,やがて抗日戦争の勝利がもたらされた」とある。一方,遵義会議は長征の際の困難に対してもたれたもの?

p117
★1936年の日独伊防共協定調印→日独防共協定調印
訂正)「日独伊」から「日独」に訂正。

p122
★べトミン→ベトナム独立同盟
修正)ベトミンは略称であり,また,ベトミンが見出し語になっている場合が多い。「ベトミン(越盟)」を「ベトミン(ベトナム独立同盟)」に修正。レイアウトも合わせて修正。

★安南帝国は間違えではないが安南は中国からの呼び名ベトナム帝国でいいのでは?
保留・修正)『角川』「安南」に,「フランス領インドシナ連邦では,グエン朝が保護国として名目的に統治した中部のみをアンナンとよぶ狭義の用法も成立した」とあり,この時は独立状態でもあるので,「ベトナム帝国」に修正。「安南帝国」と表記された理由にはスペースの都合も予想されるが,調節可能であったのでレイアウトも同時に若干修正。ただし,P128で「越南民主共和国」となっている。統一すべきとも思うが,こちらは保留。

P124 東南アジア集団防衛条約CATOU→SEATO
保留・修正)『ブリタニカ』「東南アジア条約機構」に,「1954年9月にマニラで結ばれた東南アジア集団防衛条約(1955年2月発効)に基づいて設立された地域的国際組織」とあり,東南アジア集団防衛条約(マニラ条約)自体の略称がSEATOではない。また,「CATOU」という略称も存在しないようである。よって,「東南アジア集団防衛条約CATOU」を「東南アジア条約機構SEATO」に修正。ただし,発効されたのが1955年2月であり,「1954.9東南アジア条約機構SEATOを締結す」という記述では正しくないとも思え,また,「東南アジア集団防衛条約」という語句を消してしまってよいのかも判断出来ず。保留。

P125 シャーマン=プラン→シューマン=プラン
訂正)「シャーマン=プラン」を「シューマン=プラン」に訂正。

P126 1951国連によるリビアの独立と後、エ
   ジプト七月革命が独立運動を誘発す
   →独立と後、が判らない。以後ですかね?
保留)「[リビアの独立]と,[後のエジプト七月革命]とが,独立運動を誘発する」という意味でしょうか?保留。

P127 註1949~ハシェミテ=ヨルダンと改称す
   →註の対応箇所は?
保留)単にヨルダン王国に関するという意味での「註」でしょうか?
修正)また,『山川』『角川』『ブリタニカ』すべて「ヨルダン・ハーシム王国」となっているので,文字数も合わせ,「ハシェミテ=ヨルダンと改称す」から「ヨルダン=ハーシム王国と改称」と修正。
 

ご報告

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月 4日(日)04時31分51秒
返信・引用
  ーーーー第七部(P128~P148)ーーーー

p128
★土地大綱→土地法大綱
訂正)「土地法大綱」へ

★訂正)「後、インドシナ問題の協議」右,「インドネシア三国」を「インドシナ三国」に訂正。

★インドシナ戦争の休戦 同17→N17
修正)「同年,北緯17度」の意と思われるが,スペースに余裕が無いので「仝17°」と表記したものと考えられる。また,「ソンベイハイ河」とあるが,「ソン」はベトナム語で「川」の意であるので(「アムダリア川」等と同様のケースか),こちらは「ベンハイ河」とし,文字数を調節の上,あわせて「仝北緯17度線ベンハイ河で」と修正。

P131
★59.11、EEC以外の七か国で欧自由連合EFTAを結成  (58発効)→60発効
修正)「欧自由連合」を「欧自由貿易連合」と修正。レイアウトも調整。
訂正)「58発効」を「60発効」へ訂正。

★ EFTA 芬愛→芬氷へ ちなみにリヒテンシュタインも91年加盟
訂正)「芬愛」を「芬氷」へ訂正。スペースの都合上リヒテンシュタインは加えられないが,後に本書で触れられてもいないので「芬氷など」とした。

p132 ギニア大統領セクゥーレ→セク=トゥーレ
訂正済み)

p133 アスワンダム→アスワン=ハイ=ダム
保留)『ブリタニカ』「アスワン・ハイダム」にて,「既存のアスワン・ダムの上流7kmの地点に建設されたロックフィル方式のダム。」「当初は世界銀行,アメリカ,イギリス,からの資金・技術援助で建設する予定だったが,56年にアメリカが援助を撤回」「その後,ソ連からの資金・技術援助により60年に着工,70年に完成した。」とある。よって,1956年の時点では「アスワンハイダム」と呼べるのか疑問でもある。また,アスワンハイダムとそれ以前につくられたアスワンダムとの総称として「アスワンダム」ともされることから,「アスワンダム」のまま保留。

p134
★ビルマの1958年のクーデターで軍事政権樹立は1962年の間違え
保留)手許の資料では調べきれず保留。ただし,『ブリタニカ』「ネ・ウィン」によると,1958年にウー=ヌ首相の依頼で選挙管理内閣の首相に就任したネ=ウィンが,1962年にクーデターを起こしたことは確認。なお,これらの流れの詳細は,『Wikipedia』「ミャンマー」には掲載されているものの,Wikipediaの性質上,資料・根拠としては扱わない。

★べトコン→南ヴェトナム解放民族戦線
修正)「ベトコン」の呼称は誤りではないが,「民族解放戦線」が不十分な表記とも思われ,スペース上なんとかつめられたので,「1960.12~ベトコン(民族解放戦線)」から「南ヴェトナム解放民族戦線(ベトコン)」に訂正。文字数増加によりレイアウト修正。

p135
★韓国大統領の名前は?
保留)特に記載してないのは武井先生のご判断と考え,特に付け足さず,保留。

★文革の開始年は1966年とするのが一般的
★終焉は一応毛沢東の死んだ1976年
あるいは文革終結宣言が出された77年

保留)ほとんどの資料が1967年となっているが,『ブリタニカ』においては1965年11月の「論文「新遍歴史劇『海瑞罷官』を評す」を発表し文革の口火を切った。」との記載があり,また,本書においても同様な流れが記載されているので,開始年については1965年のままで保留。

保留・訂正)文革終結については,本書の記述のよると「毛沢東の権力奪回闘争」とあるので毛沢東死去,および,四人組逮捕の1976年であり,一方,終結が正式に宣言されたのは1977年である。厳密にどちらかの年にすることは難しいが,少なくとも1970年の根拠は見つからない。また,文革は「約10年間」の「政治・権力闘争」とされている。ここは正式な終結宣言の1977年としておくが,要考察。

p137
★ウイルソンとキャラハン内閣の字は赤から黒へ
保留)赤文字の規定に特に該当するともあまり考えられない(保守党ではなく労働党ということで赤文字?)。また,他とのバランスを鑑み,「ウイルソン内閣」「キャラハン内閣」ともに黒文字にした方が良いと思われるが, 確信は持てず,念のため保留。

p138
★アパルト→アパルトヘイト
訂正)「アパルトヘイト」に訂正。

p140
修正)「カンボディア国と改称」から「89カンボディア国と改称」と年号をつけたし修正。

★カンボジアの欄にあるドイモイはベトナムの欄へ
重要 保留)ドイモイは明らかにベトナムでの改革であるが,そのままベトナムの欄へ移行してよいものか判断出来ず,とりあえず保留。

★78 華国鋒党主席解任は正式には81年
訂正)『ブリタニカ』「華国鋒」に,「78年12月に11期三中全会後影響力が低下した。80年国務院総理を辞任。81年6月11期六中全会で党内批判を受け,中共中央主席と中央軍事委員会主席を辞任,中央副主席,政治局常務委員に降格」とある。「81.6華国鋒党主席を」に訂正。

保留)上のように訂正したものの,敢えて「(78.12)」とまで記載されているので,そちらの方を消してしまってよいものか疑問。また,「党主席を解任」は『山川』『角川』では「辞任」という表現が使われているので「解任」という表現でいいものかわからない。保留。

★ちなみに 82年から 党主席→総書記に名称変更されています
保留)『ブリタニカ』『角川』にて83-88年国家主席を務めた「李先念」で調べると「国家主席」となっている(『山川』には掲載無し)。「党主席」と「国家主席」とは異なる職名であり,使い分けはされている?

★訂正)「李先念(82~88)」を「(83~88)」に訂正。


★89年の天安門事件は二次天安門事件
保留)第一次の76年4月のもの(四・五運動)は本書に記載されておらず,また,『山川用語集』では見出しに赤字で「天安門事件」,黒字で「〔第2次〕」とされているように,単独で「天安門事件」と使う場合,第2次を指すことが多いため,保留。

p145
★パレスチナ暫定自治宣言→パレスチナ暫定自治協定
修正)「Declaration of Principles on Interim Self-Government Arrangements」の日本語訳であり,「Declaration」から「宣言」という訳語になったかと思われるが,「宣言」の表記は手許の資料では見当たらず,かつ,現在でも通常「協定」がつかわれるので修正。

P146
★東ティモール(75蘭 →葡
訂正)「インドネシア共和国」下,「75蘭から人民共和国に」の「蘭」を「葡」へ訂正。

★首相は李鵬 江沢民は総書記
保留)「国家主席」としては1988-93年に楊尚昆が就いている。
国務院総理(首相)は李鵬であるが,この記載は無いので保留。

訂正)『ブリタニカ』「江沢民」にて,1989年6月に江沢民が政治局常務委員と総書記に選出,とあり「首相江沢民」を「総書記江沢民」へ訂正。レイアウト修正。

★香港返還は6月でなく7月
訂正)「同6、香港返還に成功」を「同7」に訂正。

p147
★日本の安全保障常任理事国入りに米も反対?
訂正・保留)「常任理事国入りを目指すが米・中の反対で果たせず」手許の資料には見つけられないが,アメリカではなく強いて言えば大韓民国であると思われるものの,明確に記すべきものか難しく,「米・中」から「中国など」に訂正するにとどめる。
 

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